長万部の歩み

長万部町の開礎

 寛文9年(1669)アイヌのおさシャクシャインがアイヌモシリ全域に呼びかけ、呼応したアイヌによって軍を編成、松前藩に対する一大軍事蜂起となった。
 シャクシャイン軍は7月末にはクンヌイに到達し、クンヌイ川をはさんで、松前軍と対峙する。やがてクンヌイに指揮官松前泰広が合流すると武力に劣るシャクシャイン軍は後退を続け、本拠地シベチャリ(現新ひだか町)まで後退させらせた。
 クンヌイ川をはさんだこの地は、松前を目指して攻め寄せたシャクシャイン軍と松前軍との最大の激戦地となった。

 

 渡島半島の首にあたる長万部の地は、日本海側の漁場に通じる交通上の要になり、交通量も多くなる。安永2年(1773)には番屋が建てられ、稲荷の祠ができ、番屋の幕府の役人や旅行者のための宿泊の便に供された。

 

 安政2年(1855)幕府は松前藩のほか仙台・秋田・南部・津軽の各藩に北海道と樺太を分担警備させることにした。長万部の警備を命ぜられたのは南部藩で噴火湾を望む高台に陣屋を建て物頭久慈三蔵ら総勢20人が噴火湾の警備についた。これが「史跡南部陣屋」であり、安政4年(1857)には廃止された。

 

 明治6年(1873)、長万部副戸長に竹内弥兵衛が任命された。近代国家組織の末端機構である村の首長が置かれたということで、この年をもって長万部町の開礎としている。

 

主な出来事(1)

主な出来事(2)

主な出来事(3) 

主な出来事(4) 

 

主な出来事(5) 

 

主な出来事(6) 

 

主な出来事(7) 

 

主な出来事(8)