資料・開基・由来
- 長万部町の歴史資料
- 長万部町の開基
北海道大学附属図書館北方資料室等の収蔵資料〜
北方資料データベースへ<外部リンク>
(「長万部」で検索してください)
寛文09年(1669)アイヌの酋長シャクシャインが叛乱軍をひきいて攻めのぼり、国縫川をはさんで
松前軍と戦ったのですが、敗走しました。この戦を境にアイヌは事実上戦力を失い、松前家の
全北海道支配の足がかりとなりました。
渡島半島の首にあたる長万部の地は、日本海側の漁場に通じる交通上の要になり、
交通量も多く、安永2年(1773)には番屋が建てられ、稲荷の祠ができ、番屋の幕府役人や
旅行者のための宿泊の便に供されました。
安政2年(1855)幕府は松前藩のほか仙台・秋田・南部・津軽の各藩に北海道と樺太を分担警備させることにしました。
長万部の警備を命ぜられたのは南部藩で噴火湾を望む高台に陣屋を建て物頭久慈三蔵ら総勢20人が噴火湾の警備につきました。
これが「史跡南部陣屋」ですが、安政4年には廃止されました。
明治6年(1873)竹内弥兵衛が副戸長に任命され、近代国家組織の末端機構である村の首長が置かれたということで、この年をもって長万部町の開基としています。

南部藩蝦夷地経営図
(安政年間<1850年代後半>)
- おしゃまんべの由来
北海道内の多くの地名同様アイヌ語に由来し、「オ・サマム・ペツ、川尻が横になっている」という説です。
右:川上十郎が残した「沿革誌」に綴じ込まれた長万部付近の地図
